日本舞踊

正派若柳流柳扇会

 
御挨拶
この柳扇会は正派若柳流の若柳宗樹が主催しその門下の師範、名取、一般門下生で構成されている日本舞踊組織です。
日本の伝統芸能の継承、普及、発展のために会員で斯道の芸の向上に努めております。
主な活動として、柳扇会舞踊会、柳扇会勉強会、おおぎまつり、等があります。
日本舞踊に興味のある方、これから習ってみたい方、又、一度も見た事のない方も是非お立ち寄り下さい。ruo_liu_zong_shu.htmlliu_shan_hui_gong_yan.htmlmian_qiang_hui.htmlmian_qiang_hui.htmlzhuna_huo_dong.htmlri_ben_wu_yong_jiao_shi.htmlri_ben_wu_yong_jiao_shi.htmlhttp://www.kichimasato.com/home/toppupeji.htmlshapeimage_3_link_0shapeimage_3_link_1shapeimage_3_link_2shapeimage_3_link_3shapeimage_3_link_4shapeimage_3_link_5shapeimage_3_link_6shapeimage_3_link_7
日本舞踊には現在150以上の流派が存在しますが、なかでも 西川流、花柳流、坂東流、藤間流、若柳流が五大流派といわれています。若柳流は明治26年に花柳芳松が花柳流を離れ、若柳寿童として開いた流派です。その後初代吉蔵が二世家元を継承し、若柳流の黄金期を築きました。昭和19年に二世家元の死去に伴い二代吉蔵が三世家元を継承しましたが、第二次世界大戦の中で家元をはじめ幹部も散り散りとなり昭和22年各地に離散しました。東京に居た吉与志が中心となって呼び掛け、若柳流の更生会を発足、それまでの軍国主義から民主主義へと体制が変わって行くのに伴い、我が若柳流も家元を象徴として理事制で運営する意向が固まりましたが、始めは賛意を示した家元もいざ発足という時に翻意し脱会した為、家元のいない理事制の正派若柳流が誕生しました。昭和26年1月5日の事でした。
それから50年、日本舞踊の世界ではめずらしい理事制の流派として活動を続け、会長、理事長、理事がその運営にあたり、その下に幹事、役員をおき定期公演、新年会、総会、チャリティ公演、児童の為の普及公演、講習、研修制度等の活動を続けています。
尚、流派のシンボルマークである流紋は『柳にかたばみ』です。
正派若柳流について

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